先日、砂糖が健康に与える影響についての研究に対し、砂糖協会が大学への資金を打ち切り、論文も出させなかったというニュースが出ていた。
砂糖に限らず多量の摂取が害になるものは少なくないので、研究の内容自体はそれほど驚くべきことではなく、ここで問題とすべきは、研究成果は企業の利害によってコントロールされるということだろう。
上記の記事によると、本来、砂糖とでんぷんとの比較で砂糖のほうが心臓に悪いという論に対して対抗するために行っていた研究のようで、思惑に反してやはり芳しくない結果が出ていたことが原因のようだ。
今では砂糖の取りすぎはよくないことは、多くの人々が実感として共用しているのではないだろうか。
とはいえこれは日本でのことであり、ジェイミー・オリバー氏の話を聞いたりすると、学校の食堂でも膨大な砂糖を使用している現状が報告されるなど、海外では必ずしもそうではないのかもしれない。
国内でも取りすぎはよくないと甘さを控えめが流行とはいえ、実際に商品の成分表をみると、その分量に恐れおののいてしまう。
そういう意味では、研究を打ち切り論文も出させなかった砂糖協会の戦略は(悪い意味で)成功しているのだろう。
和菓子が今でも甘い理由
甘いもの代表としては、上生菓子などの和菓子があげられるだろう。
甘さ控えめが喜ばれる今日だが、たっぷりと砂糖を使ったものが主流であり、和菓子好きな人には、むしろ甘さ控えめのものでは物足りないという人もいる。
特にお茶席に用いられることが多い銘店ほど、かなりの甘みが強いのが一般的だ。
これには理由がいくつかある。
昔は甘いものが少なく、ひとつで満足できるだけの甘さが求められた。
古くからの店でも、戦後まもない方が、今より甘く現在はこれでも薄味にしていると話すところもある。
もちろんお茶席に用いられる以上、抹茶、特に濃茶にも負けないだけの甘みが必要でもあった。
そして、保存のためという理由もある。
糖度を高めることで腐敗菌の繁殖を抑えることができる。
昔は今のような保存料はなく、現在にしても保存料を添加するとどうしても味に影響を与えるため、銘店では控えることが多い。
そのため必然的に砂糖を多く使用することになる。
世界史における砂糖
砂糖には鎮痛剤のように薬としても持ちられた歴史がある。
また先程、和菓子の件でも述べたように、天然の保存料でもある。
保湿剤として化粧品などでも使われている。
世界史において、砂糖はポルトガルやスペイン、イギリスなどのヨーロッパ諸国に莫大な富をもたらした。
彼らは中南米や東南アジアの植民地に大規模なサトウキビのプランテーションを築き、当時は高価だった砂糖の大量生産を行ったのだ。
のちにイギリスで起こった産業革命の礎は、こうした砂糖の生産もその一因である。
もっともこれらの歴史は奴隷の酷使による労働環境による負の歴史でもある。
日本でも、江戸時代に薩摩藩による奄美諸島での砂糖栽培についてはよく知られている。
イングランドのチャールズ2世と政略結婚したポルトガルのキャサリン妃が、イギリスに紅茶(とはいってもこの頃はまだ緑茶だが)と砂糖を持ち込んだ逸話は紅茶好きには有名だろう。
やがてキャサリンがイギリスに持ち込んだ茶と砂糖は、非人道的な生産のお陰で次第に安く庶民でも手に入る用になった。
産業革命の時代のイギリスでは、工場で働く貧しい労働者にとって、毎朝の砂糖を入れた一杯の紅茶が大切なカロリー補給であった。
なにか様々な思いを馳せさせずにはいられない話である。
![]() |