これまで「断捨離」という言葉には抵抗があった。
セットになることも多いミニマリストもそうなのだが、特別な用語を使う必要など無いのではないかと考えていたからだ。
モノへの行き過ぎた執着を持たないようにしましょう、というセリフでいいのではないか。
これはビジネス的なものという反発も合ったのだ。
そして、それは置くとしても、やはり身の回りはキレイにしておくに越したことはないし、実際、私自身もなかなか思い切ってモノが捨てられぬ人間だ。
それが仕事の効率を悪くしていることも自覚しており、わざわざ指摘されることへの抵抗もあったのだろう。
だが、今年に入り、断捨離という言葉の効能を感じることがあった。
うちの母親の存在である。
母が断捨離という言葉を覚え、いらない物を捨てることを始めたのである。
数年前「親の家を片付ける」という書籍の一連のシリーズが話題となった。
NHKでも取り上げられたことがあり、私もそれを見て恐怖した記憶がある。
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溜め込む世代
実際、母もたいへん持ち物が多い。
私の世帯とは同じ敷地内に棟を分けており、向こうが本屋という形である。
我が家よりはるかに大きな建物なのだが、ほとんどモノで埋まっている。
なにしろ食器だけでもものかなりの量があるのだ。
なかには10年以上使っていない、もう2度と使わないであろう食器は山のようにある。
それなりに良いものは捨てるのはもったいないとおもうのだが、そうでもない安い食器も少なくない。
衣服からさまざまな食材の瓶、庭の植物まで、とにかくスペースが有ればあったように物を揃えてしまうのだ。
ギリギリ保ってはいるが、もう少しなにかあればゴミ屋敷になるのではないかと不安になる。
このままだと災害のときには危険だし、そもそも普段の生活ですら躓きやすい。
実際、それで大きな怪我もしている有様である。
そんなわけで将来のことを考えると気が重くなるのだが、なにを言っても聞く耳持たずという感じで、ずいぶんと無駄にスペースを使っていた。
実は祖父母の家もそんな形であり、戦前生まれの祖母は、さらになんでもとっておく人だった。
それこそどうでもいい毛糸や包装紙、誰も乗らない壊れた古い自転車までである。
祖父母の家は大きく、収納場所は山のようにあったから、モノであふれかえるということはなかったのだが、それが逆により多くのモノを溜め込んでしまうことになったのだろう。
そのため祖母が亡くなった後、片付けるのは本当に大変だった。
毎週末に親戚総出で処分にかかり、3週間はかかったのである。
そんな経験を母もしており、
「反面教師にしないとね」
と言っていたのだが、口に反して行動はまったく反対だったのである。
そんな母が物を捨て始めているのだ。
どうやらテレビで断捨離の特集をやっていて、それを見たようだ。
その後もちょくちょく断捨離と言って、いらないものを捨てるようになった。
まだまだ全然片付かないのだが、それでも以前と比べて少しずつ進歩している。
テレビの影響と抵抗を薄める言葉
母は団塊の世代、つまり子供の頃にテレビが普及を始めた世代だ。
生活の中心にテレビがあり、常にテレビが映っている。
その子である私も、テレビの世代のはずなのだが、我が家は今はほとんど見ない。
夫婦ともどもインターネットが情報の主たる摂取源となっている。
母もiPhoneを持ち、ノートPCでネットサーフィンをすることもできるのだが、それでも親の世代にはテレビの放送は非常に効果が高い。
実際、うちもよくわからないバラエティ番組の健康情報を仕入れてきては話すので、
「もう、それはいいよ」
と喧嘩になるくらいである。
だからといってテレビで放送することで、頑迷だった母にここまで影響を与えられるとは予想していなかったのだ。
ただテレビに影響を受けやすい人ではあるのだが、仮にテレビで放送していても、長いセリフであったら、そこまで影響はなかったのかもしれない。
「断捨離」という言葉にすることで、いらないモノを捨てることへの抵抗感を薄め、能動的に行動させる効果があったのだとそう考えている。