愛知県の知立市は東海道五十三次の池鯉鮒宿もある古くからの街である。
ここには昔から用事で何度も来てはいたのだが、観光をした経験がない。
先日、仕事で行く用事があったので、この機会に散策してみることにした。
駅前でGoogleMapで確認し、まず駅から少し離れたところにある池鯉鮒宿の本陣跡へと向かう。
比較的広い道路沿いの駐車場に石碑が立っているだけである。
駐車場も小さな道を挟んだ隣の仕出しと鰻の店で、江戸時代の宿場町とは関係がなさそうだ。
続いて西に移動すると刈谷道の起点となる交差点がみえてくる。
東海道から分かれ刈谷藩、今の刈谷市へと続く道である。
刈谷方面から撮影。
この近くには宝蔵寺という知立神社の別当寺院がある。
ここでこの後の行動に悩んでしまった。
今のところ当時を偲ばせるものはなにもなく、宿場町の影形もない。
当然といえば当然なのだが、知立は財政こそあまり芳しくないとはいえ、豊田刈谷安城に隣接することもあり住宅が多い。
観光を主体とした街ではないのだから仕方がないだろう。
そんなわけで最初は道を戻って東のほうの馬市と松並木を観に行こうと考えた。
以前にも何度か松並木の近くは通っており、写真に撮るにもちょうどいい。
この端の馬市は、歌川広重の浮世絵「東海道五十三次・池鯉鮒」にも描かれた場所である。
なのだが、GoogleMapで確認すると歩いて行くには距離がある。
暖かい日だったとはいえ、この時期、日が落ちると急に寒くなるため、あまり駅から離れるのは避けたい。
そこでこのまま進んで知立神社へと向かうことにした。
刈谷道の起点から坂道を登ると、池鯉鮒古城阯がある。
もっともここも公園の真ん中に石碑が立っているだけだった。
そのすぐ北に了運寺。
この寺も宝蔵寺と同じく知立神社の別当寺院である。
了運寺の隣には小松屋本家という大あんまきの店があった。
知立で大あんまきといえば藤田屋が有名だが、こちらの店にも地元のファンが多いという。
話には聞いていたが、こんな町中にポツンと小さな店があるとは。
この辺りは住宅地のなかで、週末のせいか、人通りが激しい。
特に女児童が多いこともあり、スマホで写真を撮っていると怪しい人に間違えられるのではないかと落ち着かない。
アングルに人が入らないようにしているために、なかなか撮影もできない有様である。
小松屋本家も写真を撮ろうとしている間、客が多くなかなか写真が撮れず、諦めた。
試しに買って帰ってもよかったかなと帰宅後に後悔したが後の祭りである。
小松屋本家で道を折れ、了運寺との間の坂を下り、バイパスの下を抜けると知立神社の境内である。
土曜日の午後ということでとにかく参拝客が多い
ただ参拝客というよりは、ふらりと散歩がてらに訪れる地元の人も多い印象だ。
おそらく近所の老人福祉施設のものとおもわれるワゴン車や、小学生の姿もあった。
石橋から拝殿を望む。
拝殿は国の登録有形文化財で、石橋は江戸時代のもので市の指定文化財。
境内は文化財だらけである。
ちなみに拝殿の隣の社務所では巫女さんが御札を販売していた。
これも有名な多宝塔。
元々は神宮寺として愛染明王像が祀られていた。
現存する建物は1509年のものという。
明治の廃仏毀釈の折には知立文庫と名を変えて難を逃れた貴重な宗教建築。
先に訪れた宝蔵寺や了運寺もそうだが、知立神社は神仏習合の香りの強い神社である。
本当はこの辺りはカキツバタの時期に訪れると華やかだろう。
それでもなかなか愉しい午後のひとときを過ごすことができた1日だった。